松尾大社が酒の神様と崇められる由縁は、「古伝によれば、聖武天皇の天平5年(733年)、社殿背後の御手洗谷より霊泉が涌き出た時、松尾の神の託宣があり、…………『諸人この霊泉を飲めば、諸病を癒し、寿命を延ばすことを得べし。
またかの水を以て酒を醸し、我を祀らば、壽福増長・家門繁栄すべし』……と仰せられたことにあります。以来、酒造業に従う者や当社に祈願をこめ、この水を酌んで持ち帰るひとがあとを絶たぬようになったと云われます。
このことは、松尾の神を氏神として尊崇した秦氏が、その霊徳を仰ぎつつ、大陸伝来の新技法によって美酒を醸したと伝えられることと深い関わりがあったと思われる。」(松尾神社HPより)。
事務局長さんより、ご祈祷を受けるので、遅れないように、社務所に集合するように注意を受ける。楼門を入ると、お酒の資料館があるが時間の都合により、横目で見るだけし、評判の酒饅頭を購入し、集合場所に急ぐ。
社務所待合室は、ご祈祷待ちの人々で一杯である。七五三の家族連れが多いようだ。我々は、本殿に続く廊下で順番を待つ、右手には庭園があり、左手に向かう祈祷所に続く、その交差するところに青銅製の亀が石の鉢に吐水している泉水がある。これが、本殿奥にある亀の井の井戸から引かれている名水であると長老から説明を受ける。
石鉢の上に木の手柄杓が置いてある。この水は飲めますともこの水は飲めませんとも書いていない。自己責任に於いて飲むことにする。亀の口から出る水を柄杓に受ける。
口に含むと、柔らかく口に広がる、透明だが無味ではない、後味はスッキリしている。「空」、「田酒」の世界に通ずる風格である。手練れの杜氏が山田錦と共に造れば、銘酒が醸されるのだろう。相当酔いが進んだとき、この水が出されれば、端麗な広がりのある銘酒と誤認してしまうかもしれない。
我々の順番になり、本殿の方に向かう。廊下の左側には祈祷を受けた人たちに名札が掲げられている。多くの蔵、酒販店の名前がある。味噌・醤油の関係者の名前も見える。今では、醸造全般の守護神として参拝されていることが判る。
廊下より一段高い、赤い毛氈の席に座り、狩衣、袴、烏帽子の神主さんが、隣に座る七五三の家族連れを次々と名前を呼び、最後に「愛知県酒造技術研究会」の名前が呼ばれ祈祷を受ける。
祈祷の後は、舞である。白衣,緋袴の装束の巫女さんが舞う。
頭を垂れて心を鎮めると、巫女さんの手にある神楽鈴が涼しげな音色を奏でる。
鈴の音に心を奪われていると長老の「松尾大社の参拝だけは一度も欠かしたことがない」との言葉が浮かび、その言葉の本当の意味が理解できた。
杜氏達は自分の酒造技術に自信を持ち、自分の信ずるところに従って酒を造るのであるが、神の前では謙虚に、初心に立ち帰り、心に慢心がないか、気配り、心構えに欠けるところはないか自省し、また細心の注意を払う事を心に誓い、酒神のご加護を願うのである。酒造りは、米、麹、酵母の自然の力を借りるものであるから、人事を尽くし且つ神前で祈るのである。
ご祈祷が終わり外に出ると、紅葉の良い季節である。観光客、七五三の晴れ着の子供達、祈祷を受ける人々、神前結婚の華やかな、あでやかな花嫁さんがそこここに見える。境内は、晴れの季節・晴れの日・晴れの行事に充ち、祝祭の場である。酒造関係者の新郎・新婦であろうか、全国の蔵から献納された酒樽の積まれた神輿庫の前での記念撮影である。真に以て目出度い風景である。
バスに戻り、昼食場所に向かう。会場の「八つ橋庵とししゅうやかた」に着いた、時間は午後2時に近くであった。建物は、入り口右が土産物販売所になっており、左にテーブル席の団体様向けの食事場所になっている。
湯豆腐と魚の焼き物・海老・しんじょう・厚焼玉子の幕の内が並んでいる。バスの中で、一行はかなりお酒をいただいているが、例年のことであろう、燗酒の銚子を40本も注文した。
遠山会長の隣に座りお話をお聞きしたが、愛知の酒は若い杜氏が成長しており、5年が楽しみであると自信を持って話しておられたのが印象に残った。
【湖東三山金剛輪寺】
再びバスに乗り込み、見学場所に向かう。紅葉シーズン真っ只中である。湖東三山のどこに行くか、まだ行き先が決まっていなかったが、時間の都合、長老の「金剛輪寺は階段が少ないから良い」とのアドバイスにより、金剛輪寺に決定した。
金剛輪寺は。八世紀中頃、聖武天皇の御代、行基が開いた寺であり、天台宗の古刹である。戦国末期、織田信長の侵攻の際にも、幸い本堂や諸仏は破壊をまぬがれ、今日にいたっている。
急勾配の石段を登ると、「大悲閣」の本堂があり、国宝に指定されている。中央の厨子には、秘仏の本尊聖観音立像が安置され、重文の不動明王立像、毘沙門天立像などの仏像が並んでいる。
階段左の明寿院には、桃山、江戸初期、江戸中期と、作庭年代の違う庭園が有名である。
大きな提灯の掲げられた山門に入る。ここは神社ではなく寺である。「葷酒山門に入るを許さず」の寺である。昼食で、燗酒をかなりいただき、酔いが回っているのを感じる。本堂への石段は急である。息を切らせて必死に一段ずつ上がる。
上から降りてくる観葉客がすれ違った後、酒臭いと言ったように聞こえたのは空耳であったか。階段両脇の木々が空を遮り、階段は暗く夜のようである。
15分も登り、もう上がるのを止めようかと思う頃、本堂に着いた。礼拝の後、須弥壇の裏に回ると、不動明王立像の憤怒の形相が目に入る。葷酒山門である、早々に本堂から立ち退くことにした。
酔いが回り、おぼつかない足取りで暗い階段を下り、桃山庭園はもう夜の暗闇で、見えるのは看板のみである。
バスに戻ると、長老以下ほとんどの人がケロリとした面持ちで座っている。全く元気な人たちだ。
【帰りのバスで】
日が暮れ、夜になった高速道路をバスは走り、帰路についた。車内では、再び宴会が始まる。昼食の燗酒が石段の上り下りで体中に行き渡り、すっかり酔っぱらってしまい、危険水位を自覚し、眠ることにした。...
どれくらい眠ったのか、バスの後部の宴会場では、若い杜氏さん達が賑やかである。バスの全部に座っていた遠山会長も長老もいつの間にか若い人たちに中に入り、楽しい時間を遊んでいる。立派である。長たる者ただ眠ってはいられないのである。自分の役割をしっかり果たしておられる。
バスは名古屋に近づき、後部で賑やかな若人に一人一人前に出て挨拶する時間が与えられる。酔ってはいるが、皆しゃんとしている。
バスは出発地に戻り、解散の時を迎えた。
先に降りた、遠山会長と西田事務局長が、一人一人言葉を掛けられ、参加者はしっかりした足取りで帰路につく、流石、杜氏さん達は酒は飲んでも飲まれることは無いのだ。愛知の酒は大丈夫だとの遠山会長の言葉が浮かんだ。
【謝言】
専門家の酒造技術者の会に参加し、愛知の酒を担っている人達と松尾大社に参拝し、興味深い話を伺うことが出来た。遠山会長が「日本酒の会」は真面目な会であると会員の皆様に紹介していただき、隔てなく同行していただいたことに感謝したい。通い杜氏の参加が初めて無かった今年、素人ではあるが、日本酒を愛する日本酒の会のメンバーが参加することが出来たのは、何かの因縁なのであろう。
新しい酒が醸される季節は始まったばかりである。季節の終わるまで事故無く、旨い酒ができあがるよう祈念して感謝の言葉に代えたい。
(此処までで、松尾大社参拝の報告を終わります。時間の許す方は、以下にお進み下さい。)