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2006.11.25 愛知県酒造技術研究会の松尾大社参拝に参加しました。

 

【消費者から見て】
今回日本酒の最も川上である醸造の専門家の会に参加し、古より連綿として受け継がれている日本酒の醸造の歴史・文化・現在を眼にすることが出来た。蛇足ながら、最も川下にいる消費者の立場から、日本酒について日頃感じていることを述べてみたい。
醸造の面では問題はないだろう。日本酒の醸造技術は世界に誇らしいものであるし、飲んでみたい酒は沢山醸されているし、地元愛知でも若い杜氏さんが醸造の現場で活躍しており、期待できる状況である。問題は、川下に近いほどあるように思われる。消費-流通-製造の順になる。

  1. 消費
    日本酒の消費者である我々が困るのは、飲めないことである。飲めないという意味は、手に入らないこと、飲む場所の問題である。
    • 手に入らない
      ただ酔いさえすれば良いのであれば焼酎でよいが、杜氏さんの技術、心を感じるような酒ということになると、近くの酒屋では手に入らないのである。ネットで注文することになるが、人気銘柄になるとプレミア・抱き合わせとか飲む気に水を差すことが起きる。この問題は、基本的には需給ギャップの問題であるから解決は難しいが、意図的に供給を絞るようなことが無いことを希望したい。
    • 飲む場所
      飲む場所は自宅と飲み屋である。
      〔自宅〕
      まずは冷蔵庫である。普通の日本酒好きの家庭には家庭用冷蔵庫しかないのである。奥さんの了解を得てスペースを獲得しても、せいぜい一升瓶5本までであろう。スペースの他に温度の問題もある。マイナス5度前後の冷蔵庫の空間が無いのである。 この点に関して、前の手に入らない問題と併せて希望がある。供給容量と容器のの問題である。家庭用冷蔵庫に一升瓶は似合わないのである。供給の際の単位を小さくして貰えれば、事態は改善するのではと思う。 純米大吟醸1800ml/10,000円の供給形態を、180ml/1,100円の形態にしていただければと思う。1800ml/10,000円の一升瓶を3日で空ける人は少ないであろう。保存の問題は避けられない。容器の問題では、一升瓶も問題である。飲むに従って空気の方が多くなり劣化の元となる、いつまでも空間を占有するのも問題だ。 家庭用の日本酒専用セラーが欲しい。ワイン用では使いにくい。家電メーカーに働きかけて、発売すべきである。
      次に、容器の素材である。ガラス製の容器の固定観念にとらわれすぎている。アルミ缶・鋼缶に技術上の問題がなければ、180ml/1,100円の純米大吟醸アルミ缶はどうか。好きな銘柄20缶程冷蔵庫に保管して、劣化の心配からも・奥様の口撃からも解放されて安心して、楽しむことが出来る。 アルミ缶の日本酒はすでに発売されており、実績もある。筆者も、JRで旅行する場合は、旅の友にしている。新潟・菊水酒造の「ふなぐち菊水一番しぼり」アルミ缶180mlである。ふなくちの風味を損なわない様に火入れせず生酒で供給する方法を考えアルミ缶を採用したとのことである。 いま、日本酒のワンカップでの供給が広まりつつあるが、保存・品質の面から、上級酒には透明なガラス瓶は避けたいところである。
      〔飲み屋〕
      飲み屋といっても多様である。料亭・割烹から始まり居酒屋、縄のれん、赤提灯屋台。飲むところは情報誌に溢れている。しかし、我々日本酒に拘りたい人間の愛する銘柄を出してくれる場所は少ない。殆ど、ビール・焼酎・ウイスキー・カクテルである。大きな理由は、保存の問題であろう。 焼酎は楽である、日本酒は難しいのである。
      我々は日本酒に拘りのある居酒屋を探して歩くことになるが、東京であれば兎も角、名古屋ではまだ探すのに苦労する状況である。見つけられたとしても、普通の経済力の人であれば週1回程度であろう、週3回×単価4,000円×4回/月=48,000円の飲み代は普通の奥様の了解は得られないであろう。 さて料亭・割烹であるが、筆者はこのクラスのお店の常連客ではないので、的がはずれているかもしれないが。会席料理などのメニューを見ても日本酒と料理が吟味された内容でお客様に提供されているとは思えないのである。 この総料理長・板長さんは日本酒のことが判っているのだろうか、常日頃何を飲んでおられるのか、日本酒の味・歴史・文化を理解されているのだろうかと考えてしまう。日本料理の本は沢山出版されているが、日本酒を一緒に論じている本は見かけない。不思議である。 料理専門学校、板場では日本酒の勉強はしないのだろうか。料理と日本酒に精通した料理長さんが吟味を重ね、まず、料理長推挽の銘酒から始める。最上級の大吟醸酒は、肴は要らないのである。まず、銘柄の説明、酒蔵の説明、味の説明が提供され、最高級の世界を堪能する。 次に、先付けと合わせた吟醸酒、お造り・炊合わせ・焼き物それぞれに料理長のセンスが感じられる酒が合わされ、季節感が命の日本料理と日本酒の美味しさに感動できるような大人の空間が在ればよいと思うのだが。
      〔在ったらいい店〕
      高級日本酒のショットバーが在ったらいいと思う。1800ml/10,000円レベルの酒を90ml/500円ぐらいで提供する。明るい壁に、シンプルな造作、間接照明。部屋が2つ有り、一つは独酌の部屋、バロック音楽かジャズを流し、一人で酒を楽しめる空間、もう一つは談酌の部屋、ここでは会話を楽しむ、 仲間出来ても良いし、その場で会った者同士意気投合しても良い。日本酒に詳しい店長がいて、データも揃っている。こんな店が在れば、毎日行きたい。
  2. 流通(小売・卸・蔵)
    日本酒好きの消費者の眼から見ると、現状問題があると思わざるを得ない。商圏と市場の問題である。
    〔商圏〕
    現在は、我々の愛する地酒を扱う町の酒屋さんの逆境である。日本酒の業界だけではなく、行政のスタンスが変わったのである。業界よりの行政スタンスから消費者保護行政にすでに変わってしまっているのである。之に対応できているのだろうか。車のリコール・給湯器・食肉・乳製品・生命損害保険・建設業界... 次々に業界の問題が報道されて来ているが、昔から在った問題が表面化したにすぎない。何故表面化したのだろうか?行政が立場を変え、消費者寄りになり、情報をリークし、役人が生き残りをかけた存在証明を謀っていると言われている。名古屋国税局管内の愛知県の「酒類販売業免許等の新規取得者名等一覧」によれば、平成18年10月1日から平成18年10月31日までの酒類販売業免許の取得者は47業者である。毎日1件以上の販売業免許が発行されている。一方、「製造免許の新規取得者」は0である。新規取得者の多くは、量販店・ディスカウンターである。これらのお店は基本的には利潤嗜好で、利益が出て取り扱いの簡単な物しか置かない、 日本酒も多くは大手メーカーの酒・地元のものがあるとしてもパック酒である。取り扱いの難しい、入手が難しい銘酒は置かないだろう。客寄せの発泡酒の廉売と品揃えで集客し、駐車場も広い。一般の消費者はこれらの店に行くだろう。町の酒屋さんは長く商圏を免許により守られてきた、今は時代が変わり、行政は消費者保護としての競争原理を求めている。一つの商圏で複数の業者が競争することを求めている、結果は自から明らかである、優勝劣敗、敗者は商圏から去るしかないのである。大規模の業者が資金力により商圏を押さえてしまうことになるのは目に見えている。町の酒屋さんはどう対応できるのだろうか。
    〔市場〕
    酒類の市場の中で日本酒の市場をどう確保するかの問題である。個々の酒店の努力で解決はしないだろう問題は、業界で取り組む必要がある。需要を喚起する・広報を行う・各種イベントを実施する。酒販協同組合および酒造組合が取り組むべき問題であろう。
    愛知県で言えば、愛知の地酒のショールームが在っても良いのではないか。試飲(有料)が出来、データが揃い、販売している特約店がわかる、一方、消費者のニーズ・要望を蔵にフィードバックする役割も果たす。そんな場所である。国内の市場の開拓としては、各地域の料理飲食組合と連携することも必要であろう。 日本酒のない日本料理はないのだから、各地域の高級料亭・割烹と連絡を取り地酒の広報を計る必要があるだろう。次に、海外市場の問題である。農林水産省は「海外日本食レストラン認証有識者会議」を設置するとのことである。「海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的として、海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議(以下、「会議」という。)を設置する。」そうである。この会議の中に、日本酒業界の関係者は入っているのだろうか。どうやら、入っていないように思われる。 日本酒のない、日本食レストランを認定するのであろうか。どうして、入っていないのか不思議である。業界は努力不足ではないだろうか。車・デジタル家電は言うに及ばず、農産物の日本のミカン、リンゴが高級な果物として海外で評価されているらしい。日本人の口にするものは美味しくて・上品で・安全なのである。最近は、台湾・中国がマグロの刺身を食べるので、価格が高騰して話題になっている。
    「日本料理に合う日本人の愛する高級な日本酒」、世界は是を求めている。茶の湯、華道は世界の人々に受け入れられている。日本酒を単なる瓶入りの商品として考えるのではなく、日本の文化そのものとして、理解して貰うことが必要である。日本人は日本酒をこう楽しんでいる。料理と日本酒と四季折々の季節感を日本人は楽しむ、その微妙な味わい、移ろい。咲いて散る桜の花びらを愛する日本の文化の一つとして日本酒を位置づければよいのである。小津安二郎の映画は外国人にも高く評価されている。映画の中で、紳士達が小料理屋で楽しく語らいながら飲んでいるもの、それが日本酒である。小津を解する外国人は日本酒を飲んでみたいに違いない。
    世界は日本を待っているのである。