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2007.2.25 「安兵衛で日本のお酒を楽しむ会」に参加しました。

割烹 安兵衛(名古屋市熱田区大宝三丁目7-6)
https://yasubei-ankou.com/

【宴雑感】
2月に日本酒を楽しむ3つの会に参加し、美酒と美味しい料理をいただき、楽しい時を過ごすことが出来た。16日日本酒の会sake nagoyaの定例会、18日ざっぶんの会、25日安兵衛の会である。
3つの会はそれぞれ主催者、参加者、会場が異なり、会の性格も異なる面があるが、楽しく参加できるという点では、共通している。そこで、筆者の目に映るそれぞれの会の特徴と共通している楽しさ、それは宴ということなのだが、の背景にあるものを想ってみた。

《3つの会の特徴》

  1. 日本酒の会 sake nagoya
    特徴は、安い、毎月開催、オープンであり、参加者の幅が広いこと。
    会費3,000円(特別4,000円の時もある)で料理、酒込みである。どうしてこんな事が可能なのだろう?。それは会場が「旬菜処 かのう」であるからだというのは冗談だが、本当の話である。 勿論、幹事さん達の献身的な努力に依っているのは言うまでもない。企画・立案・酒の入手・連絡・手配・HPの作成および管理etcすべて手弁当なのである。この2つが無くては、成り立ち得ない。
    参加者は、大学の先生、公務員、会社員、時には杜氏さん、板長、ホテルの料理長などなど多士済々である。酒に強いのは勿論だが、専門分野はもっと強い人達である。いずれ劣らぬ紳士揃いで、酒に飲まれて醜態を演ずる人は皆無である。 女性も安心できるのか、女性の参加者が多いのも納得できるのであるが、かと言って難しい顔をして飲んでいるわけではない。皆さんあくまでも穏やかに、にこやかに楽しんでおられるのである。
    最大45名の広さがあり、参加も条件がないので、毎回新人の参加者があり、顔ぶれが固定しないのも特徴である。
  2. ざっぶんの会
    ざっぶんの会は、主催者の酒の中島屋さんが毎月開催されている「季節の美味しさと日本酒を楽しむ集い」のうち、会場を「ざっぶん」にして、春夏秋冬の年4回開催される特別バージョンである。
    特徴は、時間が長い、家族的な雰囲気、この会でしか飲めない酒、思いがけないものが出たりすること。
    兎に角、長いのである。1時から始まり、終わるのは酒が無くなるまで、だいたい19時頃になるだろうか。居心地が良いから、みんな帰らないのである。
    長い時間を共にする中、人格を構成する隔壁が次第次第に取り除かれ、和やかな家族的な雰囲気になるのであろう。参加者の誕生会が行われるのは、演出ではなく、本当のお祝いである。
    中島屋さん秘蔵の熟成酒が出たりするが、同じ物は二度と飲めない、一期一会である。達磨正宗の超古酒(昭和47年(1972)と昭和52年(1977)の純米酒のブレンド)を垂らしたアイスクリームとかジャガイモドーナツとか、想像できますか?
    筆者も新参者なので、参加者の構成は述べる資格がないが、お酒に強く、健啖家の集まりなのは確かである。従って、参加条件は、タフであること、頭も胃袋も強いことが要求される。
    会場の都合で、参加数が最大30名(無理か?)なので、常連さんが多い。会費は6,000円であるが、参加してみれば、その内容に釣り合わない安さであることが理解できる。
    (筆者のざっぶんの会の報告に写真を掲載することが出来なかったが、主催者の 酒の中島屋さんのブログに掲載されているので、ご覧下さい。
     酒の中島屋 https://nakasimaya.sakura.ne.jp/
  3. 安兵衛で日本のお酒を楽しむ会
    特徴は、主催者の店主の料理と酒の拘りと拘りの参加者であろう。
    料理と酒の質については、昨年と今年の参加報告の通り、会費9,000円でも参加する価値は大きい。
    開催は非定期で、安兵衛さんに参加申し込みを予めしておくか、HPをチェックしている必要があります。
    筆者はここでも新参者で、参加者についてはよくわからないのが本当のところですが、雰囲気から推して、拘りの人が多いようです。雰囲気も前に二つに比べると、常連さんの会員制の雰囲気が漂います。参加人数も今回は20名弱だったようですが、次回は半分以下に絞り込まれるかも知れません。

    それぞれ特徴がある会ですが、どれに参加しても、楽しむことが出来る内容であることは保証できます。ただ、蛇足ながら、日本酒の勉強をこれからしたいと希望される初心者の方は、日本酒の会に1年程度参加して、修行(?)をしてから、後の二つに参加された方が気後れせずに済むかも知れません。

《宴》
3つの会に共通すること、それは宴であること。宴会と宴は似て非なる物。
宴会は何か目的を持った会合。表彰式、決起大会、出版記念会etc。宴は、集うことが目的。主催する人とそこに集う人が、美酒と料理を楽しみ、楽しい会話に一時を過ごす場である。時間と歓びの共有意識が目的であって、他の目的があるわけではない。ただ美酒と料理を楽しむのであれば、家庭で独酌すれば足りるものであり、矢張り同好の士が集うことが宴には必要なのである。そこでの参加者の心の有り様が宴の雰囲気を作ることになる。

宴に何故人は集うのか。参加者の心の底にあるものとして二つ考えられる。

その1.<東洋的心情>
中国には、酒を愛し、酒と共に人生の別離、邂逅、喪失感、無常感を詠う詩人達が大勢おり、日本人は古来それらの詩を愛唱してきており、今や日本的心情になっているとも言える。酒の詩は枚挙に暇はないが、于武陵の有名な詩に「勧酒」がある。

勧 酒      酒を勧む  于武陵

勧君金屈巵   君に勧む 金屈巵
満酌不須辞   満酌辞するを須(もち)ひず
花発多風雨   花発(ひら)いて風雨多し
人生足別離   人生 別離足る

井伏鱒二の名訳

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(「厄除け詩集」)

間もなく、花と共に別れと旅立ちの季節を迎える。そんな時、宴を催し、盃を酌み交わしたいものである。

その2.<日本人の日常意識>
古来、日本人の日常意識、空間意識には、ハレ(晴)とケ(褻)の区別があったと言われる。「晴」=非日常と「褻」=日常で 毎日が成りたっていると思う意識である。
昨日と今日の区別も付かないような単調な毎日、明日もまた同じような日が続くであろう。毎日はそのように起伏無く、事件もなく、心躍ることもなく、淡々と、坦々と過ぎていくものであるという日常意識、これが「褻」である。

そのような日常性の日々の中、輝いた、待ちこがれた、心の躍動する日がやってくることがある。それは、村祭り、正月、結婚、出産など特別な、非日常の日である。
その日には、普段着る着物を脱ぎ捨て、きらびやかな美しい着物、晴れ着に着替えるのである。

延々と続く褻の日々の中、晴れの日の希望を持つことは、日本人の精神生活の知恵であろう。
褻の日と晴れの日の関係を取り違える人がいる。バーチャルリアリティをリアリティと取り違える人がいるように。これは、大変危険なことである。毎日が晴れの日であって欲しいと思うことは理解できるとしても、毎日を晴れの日にしようと行動することは、肉体的、経済的に自滅への道を辿ることになる。
毎日は、褻の日々なのである。

心は淋しい狩人達は、次の晴れの日の灯火の明かりを、心の先に見ながら、昨日と変わりのない今日をそしてまたそうであろう明日を、褻の日と受け止めて、極端に落ち込むこともなく、諦めることもなく、坦々と力強く生きていくのである。

宴は晴れの日である。宴に晴れ着は似合うのである。

(報告 Y)