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日本酒の会 sake nagoya 「酒蔵見学」報告(高木酒造)の報告

とき:2011年3月
酒蔵:高木酒造(岐阜県下呂市金山町金山1984)
宿泊 旅館 瓢きん(岐阜県下呂市湯之島210)

 

いつもは、名古屋駅辺りでの集合となる。地方への旅には確かに車の機動力が大切だ。しかし、胸に運転手のシールを貼られる人間がでる。昨年に続き今年も、幹事の計らいで列車の旅。
各方面から集まりやすい美濃太田駅が指定され、高山線の車中での集合だ。
事前に岐阜駅から乗り込んだのは、4名。早速、今日お邪魔する高木酒造の事前学習を始めた。

電車の窓辺の酒瓶4本
(中身が減っているのは、事前学習のため。初緑は、岐阜の酒の中島屋さんの差し入れ。感謝したい。)

 

岐阜駅をでて暫く進む頃には、街並みが途切れ、一面、春の景色である。遠くに犬山城を見ながら、田園風景の中を列車は進んだ。
美濃太田駅では、駅弁大会でお馴染みの松茸釜飯を購入。昔は釜が重く、大変だったが、いつのまにかプラスチック製に。参加者8人全員がそろったところで、釜飯をつつきながらの勉強会を続ける。

美濃太田駅
(美濃太田からは車両がディーゼルとなった。)

駅弁
(事前に予約すれば土釜も選択できる。お土産には良いだろう。 向龍館)

 

車窓の景色がのどかな春の平野から飛騨川の渓谷に代わるころ第一の目的地、飛騨金山駅に到着した。

飛騨金山駅

 

今日の目的地、高木酒造のある飛騨金山は、濃飛街道の要衝で、美濃の国、飛騨の国の境にある。細かくいえば、我々一行が下車したJR飛騨金山駅のあるところは、美濃の国、苗木藩(中津川市が中心)、橋の向こうは、飛騨の国、天領となる。江戸時代、金山の街は、国境で番所があったという。

風景

 

駅前から飛騨川を渡ると旧街道。高木酒造は街道に出てすぐである。

高木酒造
(高木酒造は街の中ごろに静かに佇む。)

 

店のガラス戸を開けると、現当主の高木社長が迎えてくれた。
「遠いところをようこそ」
あいさつもそこそこに店の中に案内してくれた。忙しい中、貴重な時間を割いていただき大変ありがたい。
ひんやりした冬の空気の残る店内には、奥まで石で葺かれた通路が続き、その脇にはショーケースが飾られ、江戸時代の雛人形や古い酒器、大福帳、尾張藩公からの初緑命名の由緒書きなどが飾られ小美術館になっている。

店の中1

店の中2

店の中3

店の中4

店の中5

 

高木社長によると、創業は、享保5年の1720年。今年で創業291年目。往時、金山は街道の分岐点として大いに賑わい、高木酒造は3軒あった酒屋の1軒で、岐阜県内では5指に入る歴史がある。

店の奥の暖簾をくぐると、なだらかな斜面を登る形で蔵がレイアウトされている。蔵はすでに皆造を翌週に控えほとんど搾りも終わったところという。
「半地下の貯蔵庫は、今は秋口のひやおろしを熟成させます。ほとんどは、瓶貯をしています。冷蔵庫の中での貯蔵になるので、スペースが大変なんです。でも酒質を維持するためですから」
パック酒のラインもあるが、よく見ると焼酎。パック酒は全廃したという。
「行く行くは純米酒onlyを売っていきたいと思っています」
社長は、酒質を重視していきたいと熱く語る。

貯蔵庫
(貯蔵庫は、国道41号線からは少しさがる。この半地下が適度の熟成につながる。)

 

「ところで、奥飛騨と初緑のブランドの違いはどこにあるのですか」
誰かが訊いた。
「初緑は無ろ過生を発売するに当たって復活させたブランド名です。元々は水と緑に囲まれた酒という意味が込められており、天保年間に尾張の殿様から頂いた名前です。二つの銘柄の一番大きな違いは販売ルートの差です。他にも初緑は細かいところまで心を配った小作りになっていたり、使用酵母が異なったり、いくつかの点で違います。奥飛騨では今まで知事賞を何度かいただいています」

皆造を控え、片づけ作業中の蔵を一通りご案内いただいた後、もう一度、酒造資料室に戻り、通路脇の畳のスペースで、奥さまも交えて試飲をさせていただいた。

試飲
(銘々皿は、時代のついた古伊万里、贅沢な試飲となった。)

 

金山の柔らかな仕込み水で醸された今回試飲酒は、無ろ過生原特別純米初緑、無ろ過生原純米吟醸初緑、山田錦65%無ろ過純米初緑、ひだほまれ55%特別純米初緑の4種類。魚の甘露煮、ハム、蔵オリジナルの豆菓子、そして飛騨の名産お漬物をいただきながらお酒をきかせていただく。
全体として、華麗というより落ち着いたしっかりしたお酒である。香りを大切にしたお酒から、熟成させた燗酒に向くものまで、様々な酒肴に合う品揃え。地元の酒造好適米「ひだほまれ」を使ったものもあった。

「社長に就任した時には、岐阜県で一番の蔵を目指すということで、生産量を増やしました。2、3年で生産量は岐阜県で一番になったのですが、何か空しくさみしい。それで、自分の思う「良い酒」を造ろうと思いました。今は、生産量より酒造りの原点に戻りたいと考えています。ある程度の量を丁寧に造り、岐阜県内と東京でうちの酒を気に入ってくれるお客様に届けていきたいと考えています」
酒質を重視すること。私たち愛飲家にとってもありがたいことである。

記念写真
(今回の見学も真摯に酒造りに取り組む蔵元様に出会うことができた。)

 

「健康には自信があったのですが、54歳になった昨年、くも膜下出血で倒れました。今は回復していますが…。後継者については、娘が蔵を継ぎたいと言ってくれています」
高木酒造の杜氏は今、74歳の南部杜氏。確かな腕を持った人である。しかしながら、例えば、造りに地元の人にも係わってもらうなど、産業構造の変化の影響は避けられない。また、蔵元の言われるように世代交代も然りである。
今回、蔵見学を受け入れてくれた高木酒造様に感謝申し上げるとともに、今後の発展を祈りたい。

高木酒造様に感謝

 

 

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