清洲桜醸造は紙パックの人気商品「清洲城 信長鬼ころし」で有名な酒蔵であるが、日本酒好きの集まる当会でも気になっている酒蔵である。
【なぜ清洲桜醸造見学なのか】
関心は大きく分けて次のような点である。
「隠し吟醸」についても、発売当初から180ml 158円(税込)の酒ながら美味いと言う会員がおり、他の日本酒の会のブラインド評価でも高い評価を受けている。
4銘柄のブラインド利き当てで、なんと!久保田の「萬寿」と「隠し吟醸」を取り違えたチームが2チームあったそうである。
「青空が好きです」忘年会報告
以上のような関心の高まりの中で、清洲桜醸造は、蔵見学は一般には実施していない蔵であるが、何とかK杜氏(製造部長)さんにお願いして蔵見学が実現したのである。
【清洲城・信長】
清洲桜醸造は、名前の通り清洲に所在する蔵である。桜のいわれは判らないが、何とか桜と言う日本酒名が多いがその因なのか、または蔵の近くに五条川が流れており、五条川は花見の名所なので五条川の桜に因むものだろう。
看板商品の「清洲城 信長鬼ころし」の銘柄にあるように、清洲と言えば信長である。
清洲に来て信長を避けて通れないので、蔵見学の前の時間を利用して、清洲古城趾と清洲城を訪ねてみた。
五条川の左に、信長の清洲城古城趾があり、現在は公園となっており信長像と信長を祭る社がある。川を挟んで反対側には清洲城が再建されている。
城と居所を次々と移した信長が、清洲城を居城とした期間は22歳から30歳までの9年間1555年(天文24年、弘治元年) ~ 1563(永禄6年)、尾張の大うつけと言われた時代から尾張の覇者になる期間と重なっている。
この間の出来事として、
五条川にかかる朱塗りの橋を渡ると平成元年四月に再建された清洲城がある。
信長が小牧山城に居城を移した後城主は、織田信忠→織田信雄→豊臣秀次→福島政則→松平忠吉→徳川義直と替わった。
徳川家康は慶長15年(1610年)、清洲城の廃城と名古屋遷都を命じ、3年後には「清洲越し」が完了した。
清洲城の周囲は枯山水の庭が設けられ綺麗に整備されている。
清洲城の歴史散策と清洲桜醸造の蔵見学を中心にしたイベントが用意されれば、参加者も多いだろうと考えながら蔵見学に向かった。
【蔵見学】
清洲桜醸造は、清洲城より五条川沿いに名鉄新清洲駅に少し戻ったところにある。
五条川に架かった橋を渡ると、前方に高いタンクが附属した工場が目に入る。
あれが、清洲桜醸造らしい。
入り口は、化学工場のような佇まいであるが、石の門柱には「清洲桜醸造」の文字が見える。
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