日本酒の会定例会のような試飲会に参加したことはあるが、このような勉強会への参加は初めてのこと。事前に伺っていた参加者は、飲食店さんとごとう屋さんの従業員及びそのOB。お酒にかかわるプロの集まりである。それぞれのお酒が、特に自分の持ち込んだお酒がどのように評価されるのか関心のあるところだ。そんな期待を持ち、日曜日の午前中、本会の2名とともに会場のごとう屋さんに出かけた。
午前の会というのは大変よい。私見だが、味覚は、午後・夜より午前中の方がよい。
参加者は、主催者を含め10人ほど。初心者の我々のため、早速、ごとう店長さんからきき酒についてご説明をいただいた。
<店長さんの説明>
全般的な事項
先ず最初に
飲む前
口に含んだあと
評価の上の注意点
きき酒会の特徴・その他
さて、今回のきき酒の対象は、参加者は一人1本ずつ持ち寄ることとなっておりごとう屋さん提供のお酒も含め20種類のお酒が集まった。
説明が終わりいよいよ試飲が始まった。試飲終了後、点数と感想を一品について一人ずつ発表することとなっている。野暮は言えないので緊張しての試飲である。約1時間、10人の参加者は一言も発せずに黙々と試飲する。通常、お酒を飲むときはワイワイガヤガヤするのが普通である。一種異様な光景であった。
試飲のあと、ごとう屋さんの進行で、それぞれが感想を述べあった。
お酒を飲む人に好きな理由を尋ねると色々な言葉が帰ってくる。「美味しければよい。」「雰囲気が好き…」等々 お酒には様々な役目があり、それぞれの人がそれぞれの楽しみ方をしている。今回の会は、なぜ私はお酒を飲むのかについて改めて考えさせてくれる機会となった。美味しいものを食べる。旨い酒を飲む。これらのことは快であり、人は根源的にこのような機会を求めている。しかし、こんなことだけを私は求めているのではない。最も嬉しかったのは、この機会が感覚の覚醒という自分の好奇心を満たしてくれたことである。まだ自分の中で整理されていないが、快や酩酊よりそのあたりの探究心や好奇心が満たされた喜びが大きかった。
今、私は、ジェフ・ジャピロというアメリカ在住の作家の杯でお酒を飲んでいる。少々陶芸的な話で恐縮だが、この作家は、備前の伊勢崎淳氏のもとで修業した焼締系の作家である。この杯は、見込み(上から見た姿)、右から見た姿、飲み口は最高だが、左から見た姿はケロイド状に引きつり、目を覆わんばかりである。この姿を左側が良ければ最高だったのにと考えるのではなく、実はこの左側こそが右側を支えていることを理解し、愛さなければならないと思っている。つまり、バランスのよさという言葉があるが、プロでない私たちはバランスのよさではなく、突出した部分を愛することも許されている。一歩進んで、私は、常々、客観的によいものではなく、だめな中にもよいところを見出したい。味覚や嗅覚は、曖昧な部分があり、そのために美と醜は微妙な境界線を形作っている。プロが客観的に見て「これがよい」ということは全く正しい。プロの判断に間違はない。そしてそれが購買へと繋がっていく。しかし、私たちアマチュアはもっと自由に愛すべきところを見出してもよいと思う。
最初にごとう屋さんからの説明があったとおり、味、香というものは、一人ではなかなか気がつかない種類のものが多い。すっきり、もたつく、ヒネ、生ヒネ、などは、リポーターも理解できるが、味のピークを過ぎている、焦げ臭、ぬかの臭い、口の中に張り付く、管理が悪いなどの表現は理解できていない。このような言葉が参加者からでたとき、すぐその場ですぐ確認できる今回のような機会は、自分自身の感覚を磨くよい経験の場である。
特に自分の持参したお酒について、多くの人に批評してもらうことができ、目を開かれる思いだった。しかし、その欠点と呼ばれたところに、そのお酒の愛すべきところが隠れているとも密かに思っている。
確かにプロは万能である。私たちはそれを学び先ず感性を洗練していかなくてはいけない。しかし、その先にある探究はアマチュアにこそ許されたことなのではないかと思う。
今回の誘っていただいた勉強会は、私の中での大きな発見のきっかけになるような会で大変ありがたかった。最後にお誘いいただいたごとう屋さんに感謝の言葉を申し上げたい。
(報告:T)